村上春樹氏の新刊に夜中の発売にもかかわらず、長蛇の列ができていたとニュースで知りましたが、新刊のタイトルにも驚きました。「色彩のない多崎つくると彼の巡礼の年」って全く意味不明!?[1Q84」のときもそうでしたが、主人公の「青豆」や天吾が書いた「空気さなぎ」という小説???なかなか私の感覚では絶対に生まれてこない言葉だなと思っています。
最近の歌にも自分の感性や、常識、発想しうる全ての語彙にはきっと含まれないだろうなという言葉が増えてきて、たぶんこれが老いを感じるということなのだろうと思いました。
年とともに、演歌や、昔の歌に親近感を感じるのは私だけではないと思いますが、先日TVで竹内まりやの「不思議なピーチパイ」という曲がかかっていたので、懐かしいなと思う反面、この歌詞の流れで、なぜピーチパイがでてくるのか?本当に不思議に感じていました。
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