「風の盆」思い出Part1

今年の風の盆は心配した台風12号の影響も少なく、無事終わりました。おわらの季節になるといつも思い出し、語り合う話の中心は、福島でおわら運営の世話をしていた30代後半から40代前半のことです。平成12年に福島支部の支部長になったとき、運営上の問題点を点検して提言書を作成しました。収支の改善、観光化対策、衣装等の購入、後継者の育成、運営組織の改革等々、会計だった平成10年から6年かけてほぼ全て改革することができました。当然私一人の力ではできるはずもなく、ただ矢表にたったこの時期は結構つらいこともありました。そんな中で、やはり心の支えになってくれたのは、同級生のY君でありM君でした。

数ある改革・改善のなかで、珠玉は、ぼんぼりカバーです。

S先輩の「ぼんぼりにゴミ袋かぶせんとカバーみたいがあればいいの~」と言う一言を聞き漏らさず、作成したのが現在のぼんぼりカバーで、当時、福島、西町、下新町、天満町に納品しました。東町は私たちのぼんぼりカバーをパクり、諏訪町はぼんぼりの形が違うということで、依頼を受けて試作品まで作ったのですが、試作品の費用も出してくれずでキャンセルされました。

風情がないとかでさんざん観光協会から文句を言われましたが、皆さんはどう思われますか?

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コメント: 2
  • #1

    ぱくった東町の元住人 (金曜日, 16 9月 2011 00:16)

    そんな経緯があったんですか~?いろいろと矢面に立ちながら頑張ってこられたことは聞いていましたが、あの「ぼんぼりカバー」の仕掛け人だったとは!
    よくこんなの作ったな~と密かに感心していました。
    伝統を残していくためには、時代に合わせて改善・改革も不可欠です。当時の情熱を忘れずにまだまだがんばって欲しいと思います。

  • #2

    生徒会長 (金曜日, 16 9月 2011 08:34)

    福島のぼんぼりカバーと東町のぼんぼりカバーの決定的な違いはファスナーが福島は2ヶ所、東町は1ヶ所です。コードが通る部分には補強用のはと目をとりつけてあります。また生地も何年たってもしなやかさを失わないものを選択しました。実際10年以上経ちましたが、透明感も、しなやかさも製作当時と同じです。品質の差は確かに価格差にもでましたが、何度も買い換えるものではないので、試作を繰り返して現在にいたっています。
    唯一心残りは、ファスナーの色をぼんぼりの枠と同色の茶色にしたかったのですが、価格が1000円近くUPするので断念しました。