風の盆によせて

風の盆が近くなり、なんとなく気ぜわしい毎日をすごしています。

平成16年にロータリークラブの卓話でおわらの事を話ししました。

そのときの文章の抜粋したものをちょっと掲載してみます。

 

今年の風の盆は例年より少ない20万人の観光客が訪れました。観光客の減少した原因は開催日が平日だったということもありますが、前夜祭の土日2町開催や、のど自慢の日の変更、月見のおわら、おわら冬浪漫などの期間外イベントなど通年観光の成果も上がってきたのではないかと思います。この通年観光化というのは後で述べる「おわら風の盆」の魅力と相反する部分もありますが、現在のおわら保存会の会長福島順二さんが推し進めている方針であります。昨年10月に福島さんが観光カリスマに選ばれて以来、天皇陛下の御前での出演、サントリー地域文化賞の受賞など名誉なことが続きました。その関係で、県の無形文化財の指定の話がありましたが、新たな取り組みを重ねるおわら風の盆と、決められた形式を踏襲することを求める文化財の理念とが適合せず、辞退することになりました。

このことは、以前から保存会の名称にも現れていました。正式な名称は富山県民謡おわら保存会で、八尾という名詞はどこにも入っていません。名称を決めるとき、中沖知事が「おわら風の盆」は将来富山県を代表する踊りになるから、県内にたくさん支部ができるだろうと、名称の頭に八尾を入れずに富山県の祭りになって欲しいとの願いから現在に至っているそうです。その先見の明には頭が下がる思いです。

さて、おわら風の盆の魅力とは何でしょうか?

一つめは踊り、唄そのものが持つ魅力です。旧踊り、男新踊りは農作業の仕草を、女新踊りは蛍を採りに行く仕草を模写したものです。その動き一つ一つを所作といい、特に手の動きを「シナ」といいますが、この「シナ」がおわら独特の繊細さと優雅さをかもし出しています。またおわらの踊りは、足の運びが人間の歩き方と違うため、簡単そうで難しく感じられると思います。観光客が参加できる三大盆踊りの中で唯一静かで情緒あふれる唄や、三味線、胡弓の演奏があるのが「おわら風の盆」であるといえます。

二つめは八尾の町並みの持つ魅力です。日本の道百選に選ばれた諏訪町の石畳の通り、井田川から見上げた西町、下新町の石垣、坂の町を彩るぼんぼりの列、そして地域に根ざした住まい、まちづくりを進めるなかで、自主的に八尾型の住宅といわれる、黒瓦、白壁、杉下見板、千本格子等の住宅の外観を維持してきた八尾の住民の努力が、八尾の町並みの魅力をますます大きくしていると思います。

三つめはおわら風の盆を支える人々の魅力です。

地方、踊り子は、一年中練習に励んでいます。それは風の盆当日だけ華やかなスターになるためであり、普段は普通の人々が、ただ芸事の域を高めようと研鑚しているのです。この潔さ、決してプロ化しない、徹底したアマチュアリズムを貫く姿勢が魅力ではないかと思います。通年観光化でこの意識が多少変化しつつありますが、いつまでもこの姿勢は貫いって欲しいと思います。

おわらは様々な年代の人たちが参加するため、また、芸事のため、師匠、弟子の関係から発展して昔から、長幼の序を重んじる雰囲気があり、壮年層を中心として年配者を敬い、後輩を厳しく育てるシステムが確立していました。これが300年間おわらの伝統を守る礎になっていると思います。また自分たちの力で援助を受けずにおわら風の盆を運営できる、そんな自負心が観光客に媚びない姿勢を作ってきたのではないかと思います。

全国的に市町村合併の協議が進む中で、八尾町も来年富山市の仲間入りをすることになりました。八尾町の住民の「おわら風の盆」に対する思いを今日の卓話の中から少しでもご理解いただければ富山市の、そして富山県の「おわら風の盆」になってもその伝統は脈々と受けつがれていくと思います。